石徹白エッセイ集


石徹白は私の心のふるさと

児山長治


私は昭和四十六年から四十九年までの三年間、石徹白小学校(当時)の新任校長としてお世話になりました。


石徹白の人たちは、素朴で豊かな人間性に溢れ、暖かい心遣いが自然になされ、その上強烈な石徹白愛に満ちています。

接する度に私の心と魂はゆさぶられました。

これまでの私の生活はいったい何だったのかと深く反省させられました。この経験は私の大きな財産となって今でも生き続けています。


石徹白を去って三十六年になりますが、三年間に受けた深い感動の数々は、色あせることなく、私の胸の中に宿っています。

その当時の教え子たちが中心になって石徹白の良さに磨きをかけ、さらに発展させようと頑張っている姿を見ると、お世話になった私に何かできることはないかと思い続けてきました。

そんな時に運よく、稲倉さんという方に出会いました。ご自身も愛知県弥富から歴史と文化のふるさと石徹白にほれこんで転居してきたとのことでした。その方が私になんでもいいから石徹白のことを書いてほしいと言われたのです。


迷いました八十五歳という年齢だけに。しかし一方では書けるのではないかという気持ちもありました。

そうだ、今尚私の胸の中で躍動し続ける感動の場面を再確認する意味を込めて書き綴って見ようと決心しました。

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まず最初に驚いた出来事は、PTA主催の昼の歓送迎会でした。これまで幾度となく経験してきたものとは、一味も二味も違っていたのです。出席者の一人ひとりが、私の前に出て正座し、「この度はご苦労様です。私は○○の親です。子どもがお世話になります。よろしくお願いします」と。礼儀正しさと立ち居振る舞いの自然さに感動しました。


和やかな雰囲気の中にあって突然ドキリとするような質問に会いました。
「時に校長先生。家族揃って石徹白に住んで貰えるんですね」
と。どきりとしました。私は単身赴任と決めていましたので
「申し訳ありませんが、私一人でお世話になりますのでよろしくお願いします。」
すると
「石徹白の学校では充分学力がつかないという心配からですか」
とおだやかに話して下さいました。

にっこりと笑って「さかづき」を出され、「いっぱい呑んで楽しんでください」・・・。この時のやりとりは今でも忘れることができません。

家族揃っての赴任を期待されての発言だったのだなあと思うと、今でも申し訳ない気持ちになります。


和やかな歓送迎会に酔っているうちに閉会の挨拶になりました。その言葉にびっくりしたのです。 「今夜、藤屋旅館で区主催の歓送迎会を計画していますので一人でも多く参加してください」と。 えーっ、たっぷりとお酒もご馳走もいただいたのに・・・二回もあることをしっていたらもう少し控えめにしていたのに・・・大丈夫かなぁ・・・。

区主催の歓送迎会は何か重みがあって、しかも豪快な呑みっぷりの人が多かったので、ついついつられて呑みました。


いい人に囲まれて呑む酒はあまり悪酔いしないことを初めて知りました。

宴が中途『で『静かにとまるので、何かあったのかなぁと思っていると、エプロンをはずしながら笑いをこらえて数人の女性が入って見えました。「お勝手衆、ご苦労様。いっぱい呑んで」と男性は酒を中断してサービスに席を回りました。あっ、そうか。裏方にもちゃんと出番が組み込んであるんだ。その鮮やかな交代に、あっここにも石徹白が積み上げてきた美しい歴史があるのだ。いいなぁ・・・と気持ちよく杯をいただきました。

二回も歓迎会で呑むことはできないと思っていたことなど、すっかり忘れていました。


いっとき女性のにぎやかな声が聞こえて楽しいものでした。それがふと静かになりご馳走様でしたと席を立たれるのです。まだまだおいしいものができますよ、どんどん呑んで食べて下さいと言いながらお勝手のほうへ。

男性の思いやり、それに応ずるかのようにすーっと席のつき語り合う光景は一幅の映画のシーンのようでした。忘れがたい思い出です。とても雰囲気が良いので私も宴の中に・・・。


少し長くなりましたのでここでペンを置きます。次は私の大失態のことを・・・と思っています。

「いいところだなぁー、本当に石徹白は。」

2010年4月