石徹白暮らし体験談 矢野健太郎さん - 第二号:2009年8月

「石徹白暮らし体験談」第二号は、親子三世代で稲作農家を営んでいる矢野健太郎さんです。

矢野健太郎さんは、若干25歳。稲作農家をやっている傍ら、実は、当ホームページ「石徹白人」の技術的な部分は、すべて健太郎さんが作っています。

高校卒業後、若くして実家の農家を継いだのはどういう経緯だったのでしょうか?今後はどんなことをやっていきたいと考えていらっしゃるのでしょうか?健太郎さんのご自宅にお邪魔して、お話をお伺いしました。

高校卒業後、稲作農家になったきっかけは、
おじいちゃんの一言!?

―――石徹白にはいつから住んでいらっしゃるんですか?

小学校6年生のときからです。それまでは美濃加茂市に住んでいたのですが父が他界したため、母の実家のある石徹白に家族全員で移り住んできました。ちなみに僕は5人兄弟の長男で、弟が3人妹が1人います。母と兄弟5人の総勢6人で引っ越してきました。

―――いきなり石徹白に移住してきて、驚いたこととかはありませんでしたか?

美濃加茂市では全校生徒が300人いたのに石徹白では全校生徒15人でしたから、最初は少し戸惑いました。だけど美濃加茂の小学校も石徹白の小学校も一輪車がさかんだったので、一輪車を通じてすぐに仲良くなれました。あと、スキーの授業が楽しかったのが印象に残っています。 中学校のときは白鳥中学校にバスで通いましたが、その年石徹白から入ったのは僕一人だったので「石徹白の子やぁ」ということで、みんなにすぐに覚えてもらってよかったです。高校は八幡だったので寮生活をしていました。

―――中学・高校では部活とかやってたんですか?

コンピューター部に所属してプログラミングなどをやっていました。それ以来、コンピューターをいじるのが好きでホームページ「石徹白人」をつくるのに役に立っています。

―――高校を卒業するとき、就職や進学は考えたりしなかったんですか?

ぼんやりとコンピューターを仕事にできたら・・・とは思ったりしていました。 だけど、恥ずかしながら「就職や進学といった将来の見通しを立てることができなかった」というのが正直なところです。高校は総合学科だったので福祉やコンピューターなどおもしろい授業を取ることはできたのですが、結局、普通科と同じような授業の取り方をしてしまいました。今思うとあまり何もわかっていなかったんだと思います。

結局、おじいちゃん(=上村乙行さん)が石徹白で農業をやってるし、戻るのもありかな と思い戻ってきて、おじいちゃんの手伝いを始めました。

<横から乙行さんのコメント> わしが「春と秋にちぃと働けばそんなに忙しくもないから、百姓も悪くないぞよ」と、だまかして百姓にしたんじゃ。

―――なるほど・・・。

「石徹白が好き」と言ってくださる方に
本当にいいお米を届けたい!!

―――地区の活動などにはいろいろと参加されているのですか?

20歳のときに消防団と壮年団に入りました。

消防団では毎月2回地区の見回りがあります。また、操法大会や規律訓練にも参加させていただいています。壮年団では神社の祭りのときにのぼりを立てたり、夏の陣(※)の運営をしたりしています。

※8月14日に小学校で開催される盆踊り大会

―――地区の活動に参加してみていかがですか?

僕はもともと出不精というか、自分からあれこれ積極的に参加しようという性格ではないのですが、消防団や壮年団の人たちからいろいろと声をかけていただけてとてもうれしいです。

ホームページのタイトルロゴになっている「石徹白人」も、もともとは壮年団の人たちが「何かグッズをつくりたい」とおっしゃっていたので、3〜4年前の夏の陣のときに試しに自分でロゴをつくってそれをプリントしたTシャツをつくっていったんです。お祭りのときにいろいろな人から「インパクトのあるTシャツだ」と言っていただけました。

ホームページをつくるときにみんなでタイトルをどうするかいろいろと話している中で「石徹白人」という言葉が採用され、僕のつくったロゴを使っていただくことになりました。自分としては最初気軽な気持ちでつくったものだったのですが、このような形になってうれしいです。皆さんに気に入っていただければ幸いです。

―――今後、お仕事の面で「こうしていきたい」というのがあれば、教えていただけますか?

高校卒業以来農業をやっていますので、年数だけはたくさん重ねてきました。まだまだおじいちゃんやお母さんに負うところは大きいのですが、田植え・草刈り・稲刈りなど、機械は任せてもらえるようになりました。

最初はただ教えてもらって手伝っているだけだったのですが、最近になってようやく「こうしたい」というビジョンが見えてきました。

―――それは、どんなビジョンなんですか?

おじいちゃんの時代は、農業でちゃんとした儲けが出せていた時代です。ですが今の時代は農作物が安くて、きちんとした利益を出すことができません。直売などを通じて適正な利益を出せるようにしていきたいと考えています。

ホームページの制作に参加させていただいて、作業は確かに大変なんですけれど、いい経験をさせていただいたと思っています。ホームページを作るという自信にもなりましたし、何よりもホームページの読者の方からのコメントをいただいて「石徹白のことが好きで、注目してくださっている方がいる」ということを感じることができました。

今後やっていきたいことは「インターネットを通じた販売」です。「石徹白が好き」と言ってくださる方に、本当にいいお米を届けたいと思っています。今回ホームページの制作に参加させていただいたことで実現への見通しが見えてきたように思います。

そして、これからも大切にしていきたいことは「いいものをしっかりとつくっていきたい」ということです。食糧品の偽装などが世間を騒がせている時代ですが、僕たち生産者としては直接消費者の方の目に見えないところこそ、まじめにつくっていきたいと考えています。

―――「健太郎米」がネットで買えるようになる日が待ち遠しいですね、がんばってください!

どうもありがとうございました。


聞き手:平野彰秀